昭和の始め頃、赤羽から川口→岩槻→蓮田→伊奈までの間を結ぼうと計画された『武州鉄道』という会社が在ったらしい。
何故、そんな事に気が付いたのかだが、浦和から岩槻周辺を自転車でポタリングした際、どうも変な所に不自然な角度でそれも直線的に細い道を発見した。

オークション会場のすぐ脇である。

廃線跡等にはそれ程大きな興味は持たない私が『ん?』と思う程判りやすい。
しかし、自動車やバイクのスピードでは見つけるのは、難しいであろう。
私の記憶にはこんな所に路線が在った記憶が無い。
どうしても気になりNetや書物等で調べると『武州鉄道』という会社が存在した事が判明した。
実際、線路が敷設され運行が実施されたのは、岩槻から現在の浦和インターの所の武州大門までらしい。それも昭和の初め頃…
当時はSLやガソリンカー等で運行をしていたらしいがもの凄く遅く赤字の累積で台風による災害の復旧が出来ずに武州鉄道は解散したらしい。
現在、同様のルートを赤羽から埼玉スタジアムのある浦和美園まで埼玉高速鉄道が来ていてこの先、岩槻から蓮田まで行くとか行かないとかなっているが、昭和初期に同様の路線を計画した人はやはり先見の目が有ったのであろう。
今も他の鉄道会社の様に存続をしていれば埼玉の開発にも大きな影響力を持ったであろう。
今回は、あまりにほったらかしであったR1100RT(雷鳥号)の機嫌が悪く、一ヶ所でしか撮影が出来なかったが、今度色々と探してみよう。