東京→駿河小山→東京 『遅い特別急行』
新宿より、ロマンスカーに乗り西に向かう。
と、言っても箱根の温泉に向かうHolidayではない。
勿論、今日も仕事である。
ロマンスカーも、今CMで流している白い車体が美しいVSEではなく、国鉄時代から続くJR直通の『あさぎり号』沼津行きである。
小田急の車両を期待していたが入線してきたのは
JR東海の371系であった。
あさぎり入線と同時にスーパーはこねVSEが白い車体に満員の行楽客を乗せ箱根湯本に向かって行った。

あさぎりに乗車。
今回はグリーン席を押さえる。

乗車位置まで行くと何とも変わった車両である。

二階席がグリーン車のダブルデッカーの3~4号車が寄り沿っているが一階席が半分位しかなく、二階に貫通賂があるのにはびっくりした。
小田急自体に乗るのも久しぶりである。
若かりし頃、小田急沿線に住んでいてよく利用をした。
走りだしたら、昔と変わらないのが、代々木上原位まで相変わらず走ったり止まったりの繰り返しである。
しばらく走ると多摩川を越える。
それにしても遅い。
こんなに遅い『特別急行』は以前名古屋から尾鷲迄乗った85系『ワイドビュー南紀』以来である。
駅間が短い大都会の複線区間の中を、特別急行から各駅停車まで一緒に走る訳だから、しょうがないのか。
北の大地を大馬力エンジンを唸らせながら疾風のごとく走るスーパー北斗とは、同じ『特別急行』と言えどエライ違いである。
運転士の注意も全く違うだろう。
ダイヤと睨み合いは一緒だろうが、片や信号と踏切、通過駅でのホームと人の動き、片や全く自然が相手、線路内に落石、動物の飛び出し、冬は雪との戦いである。
でも、それは私等ドライバー勿論全く同じである。
猛暑の都会を走る快適な列車に乗りそんな事を考えていたら、真っ白な極寒の北の大地が恋しくなってきた。
あさぎりは海老名を通過している。
海老名/厚木は悪ガキだった多感な頃、過ごした町だった。
小田急の車庫の向こうから、相模線が寄ってくる。
当時、相模線はキハ30系やキハ17系が力の無いエンジンと曲がった線路に車体をうねらせながら走っていた。
相模線に乗って海を見によく出かけた。
海老名から出る相模鉄道も横浜に出るのによく利用した。
あさぎりは新松田の手前で東名高速をアンダーパスするとJRとの渡り線で大きく車体を右に傾け松田から御殿場線に入る。
JRに入ると速度が上がる。
今やローカル線になったとは言え、丹那トンネルが出来るまでは『本線』だっただけはある。
間もなく目的地の駿河小山である。
列車を降りると、生暖かい風が、いや熱風が吹き抜ける。

駅を出て目的地迄徒歩く。
真夏の太陽が容赦なく照り付け、蝉の鳴く声が煩い位である。
線路沿いをしばらく歩き、橋を渡る。
流れる水の音が涼しげだ。

橋を渡っていると、真っ白な古いアメ車がキャンバストップを開け通り過ぎて行った。
田舎町に来るといつも思うが、この時間が止まった様な雰囲気がたまらなく好きだ。
一仕事終え、又駅に戻る。
帰り道はどうしようか?
小田急で帰り、一度厚木で降りて、懐かしさに浸るのもいい、国府津経由でよく遊んでいた、茅ヶ崎や藤沢、横浜に足を延ばすのも良いだろう。
でも、照り付ける太陽の下の仕事でバテバテである。
おとなしく、16:06発のあさぎりで戻る事とする。
帰りも371系であった。
深々としたシートに身を沈めると、いつの間にか眠りについていて、目を覚ますと、新宿の高層ビル群が目の前に迫っている。
お疲れ様でしたぁ~
と、言っても箱根の温泉に向かうHolidayではない。
勿論、今日も仕事である。
ロマンスカーも、今CMで流している白い車体が美しいVSEではなく、国鉄時代から続くJR直通の『あさぎり号』沼津行きである。
小田急の車両を期待していたが入線してきたのは
JR東海の371系であった。
あさぎり入線と同時にスーパーはこねVSEが白い車体に満員の行楽客を乗せ箱根湯本に向かって行った。

あさぎりに乗車。

今回はグリーン席を押さえる。

乗車位置まで行くと何とも変わった車両である。

二階席がグリーン車のダブルデッカーの3~4号車が寄り沿っているが一階席が半分位しかなく、二階に貫通賂があるのにはびっくりした。
小田急自体に乗るのも久しぶりである。
若かりし頃、小田急沿線に住んでいてよく利用をした。
走りだしたら、昔と変わらないのが、代々木上原位まで相変わらず走ったり止まったりの繰り返しである。
しばらく走ると多摩川を越える。
それにしても遅い。
こんなに遅い『特別急行』は以前名古屋から尾鷲迄乗った85系『ワイドビュー南紀』以来である。
駅間が短い大都会の複線区間の中を、特別急行から各駅停車まで一緒に走る訳だから、しょうがないのか。
北の大地を大馬力エンジンを唸らせながら疾風のごとく走るスーパー北斗とは、同じ『特別急行』と言えどエライ違いである。
運転士の注意も全く違うだろう。
ダイヤと睨み合いは一緒だろうが、片や信号と踏切、通過駅でのホームと人の動き、片や全く自然が相手、線路内に落石、動物の飛び出し、冬は雪との戦いである。
でも、それは私等ドライバー勿論全く同じである。
猛暑の都会を走る快適な列車に乗りそんな事を考えていたら、真っ白な極寒の北の大地が恋しくなってきた。
あさぎりは海老名を通過している。
海老名/厚木は悪ガキだった多感な頃、過ごした町だった。
小田急の車庫の向こうから、相模線が寄ってくる。
当時、相模線はキハ30系やキハ17系が力の無いエンジンと曲がった線路に車体をうねらせながら走っていた。
相模線に乗って海を見によく出かけた。
海老名から出る相模鉄道も横浜に出るのによく利用した。
あさぎりは新松田の手前で東名高速をアンダーパスするとJRとの渡り線で大きく車体を右に傾け松田から御殿場線に入る。
JRに入ると速度が上がる。
今やローカル線になったとは言え、丹那トンネルが出来るまでは『本線』だっただけはある。
間もなく目的地の駿河小山である。
列車を降りると、生暖かい風が、いや熱風が吹き抜ける。

駅を出て目的地迄徒歩く。
真夏の太陽が容赦なく照り付け、蝉の鳴く声が煩い位である。
線路沿いをしばらく歩き、橋を渡る。
流れる水の音が涼しげだ。

橋を渡っていると、真っ白な古いアメ車がキャンバストップを開け通り過ぎて行った。
田舎町に来るといつも思うが、この時間が止まった様な雰囲気がたまらなく好きだ。
一仕事終え、又駅に戻る。
帰り道はどうしようか?
小田急で帰り、一度厚木で降りて、懐かしさに浸るのもいい、国府津経由でよく遊んでいた、茅ヶ崎や藤沢、横浜に足を延ばすのも良いだろう。
でも、照り付ける太陽の下の仕事でバテバテである。
おとなしく、16:06発のあさぎりで戻る事とする。
帰りも371系であった。
深々としたシートに身を沈めると、いつの間にか眠りについていて、目を覚ますと、新宿の高層ビル群が目の前に迫っている。
お疲れ様でしたぁ~
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