釧路→納沙布岬→紋別 『北方四島返還について少しは真面目に考えた』
昨晩は、つまらない事で捕まってしまった。
しかし、おいらは切り替えが早いというか、喉もと過ぎれば何とかの馬鹿なので、美味しい
朝食ですっかり気を良くして、7:30にホテルを出発した。

釧路から、北太平洋シーサイドラインを厚岸に向かい走る。
天気も良く、セレナ号もきれいになっているので、気分良く走る。
時間的にはR44の方が圧倒的に速いが、今日は休みなのでゆっくりと景色を楽しみなが
ら走る。
途中、海岸線で馬にそりを引かせて砂浜を走る訓練をしていた。


写真を撮ろうと思い、ちょいと坂を降りたら、バックで登れなくなりスタック。
完全に、左前輪がもぐってしまった。
いくら4WDとは言え、クロカン4WDではないし、勿論デフロックなんかある訳無い
FFベースの生活4WDなので、バックでは脱出不能。
幸いに、下りに頭を突っ込んだので、下る事は出来るが、下った所でターンは不能。
その先は、完全にもぐりそうなのである。
少し、下りある程度グリップしそうなと所まで行き、一気にバック。
何とか、脱出成功。
また、シーサイドラインを快適に走る。
厚岸で一旦R44に出る。
厚岸大橋に向かう。
厚岸は、フランスにまで輸出されるほど有名になった美味しい牡蠣の生産地である。
食いしん坊な、おいらは食べさせてくれそうな場所を探すが、8:30という時間と時期的に
そんなお店はやっていなかった。残念・・・
厚岸大橋を渡っていると、海に浮かぶ鳥居を発見。
海の男達の守り神なのだろう。
霧多布に立ち寄る。
シーサイドラインに戻る。
順調に走行をしていたら・・・
出て、来ました。エゾジカ君。
ちょいと小さめの二頭。走る
走る

そのまま、根室市内をパスしながら、納沙布岬を目指す。
途中、歯舞の少し手前で小さな港に降りる。
ここまで、流氷は来ていた。
近くに居た老婆と話をすると、流氷は昆布漁の天敵なのだと言う。
何でも、昆布を引きちぎってしまうらしい。
歯舞を出て、納沙布岬に到着。
ここまで、来たのは25年振りである。
お気楽だった25年前には、全く考えていなかった、北方領土を見に来たのだ。
東京や札幌に居ると、いや釧路に居ても、陸で生活する私等には縁が無いと言うか、
正確には失礼を承知で言うが、興味が無いのである。
それを、この目で見て感じたかったのである。
途中、北方領土返還を願う看板や幟を沢山目にする。

納沙布から、本当に目の前にロシアに返還してもらえない、歯舞群島の水晶島や国後が見えるのだ。
水晶島の、その手間に有る貝殻島までは僅か3.7kmしかない。


よく、テレビのニュースで聞く中『歯舞漁港所属の…ロシアの監視船に拿捕された』と聞くが、こんなに厳しい過酷な環境とは思わなかった。
国後島は、沖縄本島より大きいらしい。
その先にある、択捉島はもっと大きい。
地図で見ると、納沙布岬と知床の間に国後島は入り込んでいる。
目の前に国後の羅臼岳が見える。

その右にうっすらだが雪を被った爺爺岳も見える。

元々、日本の領土だったのだから戦後60年も経つのだからいい加減、ロシアは北方四島を返してもいいだろうと思う。
しかし、ロシアにしてみれば60年経ってしまったんだからなのだろうか…
たとえ、今の状態が続いても、せめて通常に往来位出来ても良いのではないかと考えるのは、その場に直面していないお気楽な私の頭なのだからだろうか…
現在の、福岡と釜山の様な関係は築く事は不可能なのだろうか…
現在、北方四島に生活するロシアの人達の生活も遠く離れたモスクワとは違い厳しい生活をしていると聞く。
どうなんだろうか?
日本との行き来をしてというのは…
現在、福岡から韓国に向けて高速船が往来し、下関や大阪からも韓国にフェリーが行き来している。
そんな関係を、築きながら返還というのは駄目なのだろうか…
そんな事をたまには真面目に考えながら、納沙布岬を後にした。
今日は長いのであとは『続きを読む』で
しかし、おいらは切り替えが早いというか、喉もと過ぎれば何とかの馬鹿なので、美味しい
朝食ですっかり気を良くして、7:30にホテルを出発した。

釧路から、北太平洋シーサイドラインを厚岸に向かい走る。
天気も良く、セレナ号もきれいになっているので、気分良く走る。
時間的にはR44の方が圧倒的に速いが、今日は休みなのでゆっくりと景色を楽しみなが
ら走る。
途中、海岸線で馬にそりを引かせて砂浜を走る訓練をしていた。


写真を撮ろうと思い、ちょいと坂を降りたら、バックで登れなくなりスタック。
完全に、左前輪がもぐってしまった。
いくら4WDとは言え、クロカン4WDではないし、勿論デフロックなんかある訳無い
FFベースの生活4WDなので、バックでは脱出不能。
幸いに、下りに頭を突っ込んだので、下る事は出来るが、下った所でターンは不能。
その先は、完全にもぐりそうなのである。
少し、下りある程度グリップしそうなと所まで行き、一気にバック。
何とか、脱出成功。
また、シーサイドラインを快適に走る。
厚岸で一旦R44に出る。
厚岸大橋に向かう。

厚岸は、フランスにまで輸出されるほど有名になった美味しい牡蠣の生産地である。
食いしん坊な、おいらは食べさせてくれそうな場所を探すが、8:30という時間と時期的に
そんなお店はやっていなかった。残念・・・
厚岸大橋を渡っていると、海に浮かぶ鳥居を発見。

海の男達の守り神なのだろう。
霧多布に立ち寄る。

シーサイドラインに戻る。
順調に走行をしていたら・・・

出て、来ました。エゾジカ君。
ちょいと小さめの二頭。走る



そのまま、根室市内をパスしながら、納沙布岬を目指す。
途中、歯舞の少し手前で小さな港に降りる。
ここまで、流氷は来ていた。

近くに居た老婆と話をすると、流氷は昆布漁の天敵なのだと言う。
何でも、昆布を引きちぎってしまうらしい。
歯舞を出て、納沙布岬に到着。

ここまで、来たのは25年振りである。
お気楽だった25年前には、全く考えていなかった、北方領土を見に来たのだ。
東京や札幌に居ると、いや釧路に居ても、陸で生活する私等には縁が無いと言うか、
正確には失礼を承知で言うが、興味が無いのである。
それを、この目で見て感じたかったのである。
途中、北方領土返還を願う看板や幟を沢山目にする。

納沙布から、本当に目の前にロシアに返還してもらえない、歯舞群島の水晶島や国後が見えるのだ。
水晶島の、その手間に有る貝殻島までは僅か3.7kmしかない。


よく、テレビのニュースで聞く中『歯舞漁港所属の…ロシアの監視船に拿捕された』と聞くが、こんなに厳しい過酷な環境とは思わなかった。
国後島は、沖縄本島より大きいらしい。
その先にある、択捉島はもっと大きい。
地図で見ると、納沙布岬と知床の間に国後島は入り込んでいる。
目の前に国後の羅臼岳が見える。

その右にうっすらだが雪を被った爺爺岳も見える。

元々、日本の領土だったのだから戦後60年も経つのだからいい加減、ロシアは北方四島を返してもいいだろうと思う。
しかし、ロシアにしてみれば60年経ってしまったんだからなのだろうか…
たとえ、今の状態が続いても、せめて通常に往来位出来ても良いのではないかと考えるのは、その場に直面していないお気楽な私の頭なのだからだろうか…
現在の、福岡と釜山の様な関係は築く事は不可能なのだろうか…
現在、北方四島に生活するロシアの人達の生活も遠く離れたモスクワとは違い厳しい生活をしていると聞く。
どうなんだろうか?
日本との行き来をしてというのは…
現在、福岡から韓国に向けて高速船が往来し、下関や大阪からも韓国にフェリーが行き来している。
そんな関係を、築きながら返還というのは駄目なのだろうか…
そんな事をたまには真面目に考えながら、納沙布岬を後にした。
今日は長いのであとは『続きを読む』で
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福住総本店 『ちょいと豪華な天ぷらそばでいいのかな?』
旧根北線アーチ橋 『左コーナーを抜けたら、突然現れた』
こんな物が有るとは知らず、根北峠を下ってきたら、突然現れたんでびっくりた。
でも、良く考えたら高校生の頃、鉄ちゃんの友人と見に来た記憶があります。
もう、30年も前の話でしょうか・・・
北海道をCB400Tでツーリング中の私のケツに網走から「乗せてってくれ」と言われ、網走で一度荷物を降ろし、鉄ちゃんを乗せてここまで来て又網走のユースホステルに戻った記憶が蘇ってきました。
なぜ、「網走で会おう」と言ったのかは、彼がここに来たかっただけでした・・・
あいつ、何してんだろうな・・・
ところで、このアーチ橋ですが、旧根北線って書きましたが、実際には建設途中に日中戦争で建設中止になっているので、『廃線跡』ではありませんね。


でも、良く考えたら高校生の頃、鉄ちゃんの友人と見に来た記憶があります。
もう、30年も前の話でしょうか・・・
北海道をCB400Tでツーリング中の私のケツに網走から「乗せてってくれ」と言われ、網走で一度荷物を降ろし、鉄ちゃんを乗せてここまで来て又網走のユースホステルに戻った記憶が蘇ってきました。
なぜ、「網走で会おう」と言ったのかは、彼がここに来たかっただけでした・・・
あいつ、何してんだろうな・・・
ところで、このアーチ橋ですが、旧根北線って書きましたが、実際には建設途中に日中戦争で建設中止になっているので、『廃線跡』ではありませんね。

