新潟交通長岡線 『何か凄い昔みたいですね』
長岡で少し時間が取れ、以前から気になっていた廃線跡を歩いてみた。
今日の相棒は、長岡にいる時に使っているアベニール
廃線跡を歩くきっかけを作ったのは実はこのアベニール号のナビである。アウトストラーダが付いているが、何とこのナビは2005年製の車のくせして、1995年に廃止になった『新潟交通長岡線』が載っていのだ。
不思議である。
私が、最初に長岡に通い始めた頃はこの長岡線は走っていた記憶が在る。
その跡を追いかけてみた。

まずは西長岡の車庫の辺りである。
ちょっと前までは車庫が残っていたがすっかり、スーパーに変わっていた。
次にa地点
来迎寺方向
現在はバスが走っている。
b地点西長岡方向
来迎寺方向
c地点西長岡方向
来迎寺方向
廃線跡にひっそりと咲いていた秋桜
d地点関越道高架をくぐる
e地点ガーターは外されコンクリート基盤が残る
そこの踏み切り跡、線路が残されていた
来迎寺方向を望む

f地点 渋海川を渡る手前の土盛り
g地点ガーターの残る小さな橋が有った

来迎寺に向けて最後のカーブ
終点、来迎寺駅。現在は側道になっている。
不自然に道路側にホームが残る。
全国各地でどんどんと鉄路が失われていく。
この、新潟交通魚沼線もご他聞に漏れず車社会に押され廃線になったが、もう少し頑張っていたらどうであったろう。
現在は、ライトレールの様な形で生き残れたかもしれない。
しかし、西長岡から先のあの信濃川を越えない限り先は無かったであろうが…
川を越えられず、峠を越えられず無くなっていった鉄路は数知れず有る。
郷愁に耽るだけでなく、今後の生活基盤の一つとして富山ライトレールの様な活躍を望みたい。
鉄道は都会と特急だけになってしまって良いのだろうかと、考えさせられた。
と、言う私自身殆んどその都会と特急しか使わずあとは化石燃料を燃やし続けているのだが…考えさせられる一日になった。
今日の相棒は、長岡にいる時に使っているアベニール

廃線跡を歩くきっかけを作ったのは実はこのアベニール号のナビである。アウトストラーダが付いているが、何とこのナビは2005年製の車のくせして、1995年に廃止になった『新潟交通長岡線』が載っていのだ。
不思議である。
私が、最初に長岡に通い始めた頃はこの長岡線は走っていた記憶が在る。
その跡を追いかけてみた。

まずは西長岡の車庫の辺りである。

ちょっと前までは車庫が残っていたがすっかり、スーパーに変わっていた。
次にa地点

来迎寺方向

現在はバスが走っている。

b地点西長岡方向

来迎寺方向

c地点西長岡方向

来迎寺方向

廃線跡にひっそりと咲いていた秋桜

d地点関越道高架をくぐる

e地点ガーターは外されコンクリート基盤が残る

そこの踏み切り跡、線路が残されていた

来迎寺方向を望む


f地点 渋海川を渡る手前の土盛り

g地点ガーターの残る小さな橋が有った


来迎寺に向けて最後のカーブ

終点、来迎寺駅。現在は側道になっている。

不自然に道路側にホームが残る。

全国各地でどんどんと鉄路が失われていく。
この、新潟交通魚沼線もご他聞に漏れず車社会に押され廃線になったが、もう少し頑張っていたらどうであったろう。
現在は、ライトレールの様な形で生き残れたかもしれない。
しかし、西長岡から先のあの信濃川を越えない限り先は無かったであろうが…
川を越えられず、峠を越えられず無くなっていった鉄路は数知れず有る。
郷愁に耽るだけでなく、今後の生活基盤の一つとして富山ライトレールの様な活躍を望みたい。
鉄道は都会と特急だけになってしまって良いのだろうかと、考えさせられた。
と、言う私自身殆んどその都会と特急しか使わずあとは化石燃料を燃やし続けているのだが…考えさせられる一日になった。
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